第1回公演のお知らせ

第1回公演


 
第1回公演、演目は「野宮」です。
言わずと知れた名曲で、ワキ、アイ、笛、それぞれがその本分ともいえる役割を担う典型的な複式夢幻能です。その意味では、見た目の華やかさや賑やかさで誤魔化せない、基本力と地力、そしてこれまで舞台に取り組んできた姿勢が問われるたいへん難しい曲だと思います。
シテ方は第3期研修の担当お流儀だった喜多流。塩津哲生先生をはじめ、当時講師としてお越し頂いていた先生方や、稽古会・発表会など様々に胸を借りさせて頂いた方々にご出演をお願いいたしました。
おシテは狩野了一師。当時の我々にとりましては、同世代にもかかわらずすでに卓越した技量をお持ちの狩野師はまさに目を見張るばかりの方でした。立姿の可憐な美しさ、柔らかくも芯の強い謡、そしてなによりも舞台上での存在感。必ずこれからの喜多流を牽引していく方と存じます。
また、大鼓は同じく研修時代にお稽古頂いた柿原崇志先生、小鼓は我々の後輩になられます第7期研修終了生の田邊恭資師にご出演賜ります。
未熟にさえも至らなかった我々の姿をもっともよくご存知の方々に囲まれて一番を勤めさせて頂けますことはなによりの幸せですし、感謝の気持ちを忘れずに舞台に臨みたいと思います。そして、研修時代にもまして厳しくご指導ご鞭撻頂き、自ら「硯修」していく励みとさせて頂きたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
 
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野宮(ののみや)

 

概要

晩秋の嵯峨野を訪れた旅の僧(ワキ)が野宮の旧跡を拝んでいると、一人の女(前シテ)が現れる。折しも今日 九月七日は、光源氏が野宮にいた六条御息所のもとを訪れた日。女は往時の様子を語り、榊の枝を神前に手向けると、その時の御息所の心の内を明かす。彼女は、自分こそ御息所の霊だと告げると、姿を消すのだった。
驚いた僧。そこへ通りかかった土地の男(アイ)に、僧は御息所の故事を尋ねる。男の語る物語に耳を傾けていた僧は、彼女の菩提を弔おうと決意する。
その夜、僧の夢の中に、牛車に乗った一人の貴婦人が現れる。彼女こそ、六条御息所の幽霊(後シテ)であった。御息所は、かつて賀茂祭で負った心の傷を語り、寂しげな野宮の様子を見て感傷に浸りつつ、舞の袖を翻す。しかしやがて、彼女は再び車に乗ると、ひとり去ってゆくのであった。
(金春禅竹 作)
 

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキが登場します。

暮れゆく秋の花の色も物寂しい、京都郊外 嵯峨野の地。そんな晩秋の風情に惹かれてやって来る、一人の旅の僧(ワキ)があった。
鬱蒼と木々の茂る森。ひっそりとしたこの一帯は、むかし神に仕える皇女が精進潔斎をしたという「野宮」の旧跡であった。そして不思議なことに、遥かに時隔たった今なお、黒木の鳥居や小柴垣は往時のままに残っていた…。
 

2 前シテが榊の枝を手にして登場します。

梢を吹きぬけてゆく木枯らしが肌寒い、残秋の森。そんな中、心静かに参拝していた僧の前に、一人の女(前シテ)が現れた。「秋の暮れ方。露に濡れて萎れた袖には、冷たい風が沁みわたる。恋の心はすっかり色あせ、この身は次第に衰えゆくが、それでもなお、消えるかと思えば湧きかえる、この思い。そうするままに、今年の今日もまた、昔の跡に帰ってきてしまった。来たところでどうにもならぬと、分かっているはずなのに――」。
 

3 前シテはワキと言葉を交わし、榊の枝を鳥居に供えます。

忽然と現れた女。不審がる僧に彼女は告げる。「ここは昔の斎宮様の御在所。今も毎年九月七日には、私はこの地を清めて神を祀るのです。余所人の来る所ではありません」。
九月七日。それは昔、六条御息所を慕って光源氏がこの地を訪れた日。その日源氏から贈られたのは、榊に付けた手紙であった。「世の中は移り変わり、変わらぬものはこの榊の緑ばかり…」 女は手にしていた榊を神前に供え、静かに祈りを捧げるのだった。
 

4 前シテは、御息所のもとを訪問した光源氏の故事を語ります(〔クリ・サシ・クセ〕)。

――孤独な御息所。夫・皇太子とは死別し、忍んで来ていた光源氏の足も次第に遠のく。だがそれでも、源氏は御息所を決して見捨てはしなかった。野宮の彼女のもとへ、うら枯れの秋の道を遥々やって来た源氏。こまやかに言葉を交わす二人の、心通わせるひととき。その後、いよいよ伊勢に下向する日。寄る辺なき身の御息所は、源氏に別れの歌を贈ると、後ろ髪を引かれつつ、旅路へと赴いたのだった…。
 

5 前シテは自らの正体を明かして消え失せます。(中入)

御息所の心中を語る女。そのただならぬ様子に、僧はいよいよ不審がる。女は明かす。「名を明かすのも憚りながら、私は既にこの世に亡き身。遥かに時隔たった今なお、この世に遺すわが名の跡…。実は私こそ、六条御息所の幽霊なのです」。
秋の風が吹きわたり、梢からは月が顔をのぞかせる夕暮れ時。彼女は鳥居のもとへ立ち寄ると、薄暗がりの中に姿を消してしまうのだった。
 

6 アイが登場し、ワキに物語りをします。

そこへやって来た、この土地の男(アイ)。男から声を掛けられたのを幸い、僧は彼に六条御息所の故事を尋ねる。男の口から語られる、御息所の物語。それは、儚くも悲しい、苦悩に満ちた女の生涯であった。男の言葉に耳を傾け、哀れな御息所の傷心の日々に思いを馳せる僧。一部始終を聞いた僧は、彼女の魂を救おうとの決意を固めるのだった。
 

7 ワキが弔っていると後シテが出現し、賀茂祭の辛い記憶を再現します。

幽かな月の光が木の間に漏れる、夜の野宮。僧が弔っていると、そこへ牛車に乗った一人の貴婦人が現れた。彼女こそ、御息所の幽霊(後シテ)。「ああ、昔の記憶が蘇る。――あれは賀茂祭の日。多くの人々が集うなか、やって来たのは今を時めく葵上。その従者たちに取り囲まれ、私の車は奥へと押し込められてしまった。そのときの非力さ…」。
この苦しみも罪の報い。御息所は救いを願い、僧にすがるのであった。
 

8 後シテは〔序之舞〕を舞い、野宮の光景を見て懐旧の念に浸ります。

御息所は昔を偲び、月光のもと、舞の袖をひるがえす。その月は寂しげに大地を濡らし、秋草に置く露はキラキラと輝く。この野宮の森までもが、昔を偲んで哀愁の思いに浸っているよう。「私がこの地にいたのも、もうすっかり昔のこと。小柴垣を、こうやって、露を払って来て下さったあの方も、もう遥かの夢となってしまった。変わらぬものは、リン、リンと鳴く虫の音ばかり。ああ、懐かしい…!」
 

9 後シテはさらに〔破之舞〕を舞って感傷に耽り、やがて消え去ってゆきます。(終)

感極まった彼女は、再び舞を舞い出す。傷心の御息所の、妄執の舞。しかしその中で、彼女は次第に自らの心を整理してゆく。「この野宮は、畏れ多くも伊勢神宮に連なる宮。毎年こうしてやって来てしまうのも、鳥居をくぐらせることで私を救おうとの、神様の思し召しなのかもしれない…」 彼女はそう言うと、再び牛車に乗って去ってゆく。
彼女は、救われることができたのだろうか。苦しみ多き、この迷いの世界から――。
 
文:中野顕正(東京大学大学院生)